#2 光源氏のコンプレックスとは? 三田村雅子さんが読む、紫式部『源氏物語』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

三田村雅子さんによる、紫式部『源氏物語』読み解き

想いは、伝わるか——。

世界最古の長編小説で、その後の日本文学の流れを決定づけた『源氏物語』。表層と深層の両面から精緻に描かれた、愛と権力をめぐる人の欲望や因果は、優雅でありながら深く暗い影を落とします。

『NHK「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』では、三田村雅子さんと、いつの世も変わらぬ生の悲哀と葛藤を、尽きせぬ豊穣な『源氏物語』の世界から味わいます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第2回/全4回)

第1回はこちら

帝になれなかった皇子

 光源氏──というと、みなさんはどのようなイメージを抱かれるでしょうか。一般に東洋のカサノヴァ、ドン・ファンということで通っているようですから、「多くの女性の心をもてあそんだ、色好みの男」といった答えが多いかもしれません。しかし、物語を読んでみると、そのような単純なものではないことがわかります。私が見るところ、光源氏という人は、かなり強いコンプレックスを抱いていた人で、その屈折した思いにまつわるところで、いろいろな女性を好きになったり、関係を持ったりしていたのではないかと思われます。

『源氏物語』には数多くの女性が登場しますが、中でも源氏が心惹かれるのは、「好きになってはいけない相手」です。いわゆる禁断の恋に惹かれる傾向がとても強くあるのです。

 その代表格は、父の桐壺帝が寵愛したお妃で、義理の母にあたる藤壺中宮(ふじつぼのちゅうぐう)です。光源氏と彼女が密通して生まれた子は、後に帝(冷泉帝(れいぜいてい))となります。六条御息所との関係も、禁断の恋の部類に入るでしょう。六条御息所は前の東宮(とうぐう)の未亡人で、そのような身分の人が再婚することが仮にあったとしても、正妻以外は考えられないのですが、光源氏は強引に口説き落としてしまいます。それだけではありません。自分の異母兄である朱雀帝(すざくてい)の寵姫の朧月夜(おぼろづくよ)の君とも関係していますし、男性と交わってはいけない斎院(さいいん)である朝顔の姫君にもそうとう熱心に迫っています。これらを見てみると、光源氏の欲望が「天皇に関わる女性を自分のものにしたい」というところから湧き出ているような気がします。

 なぜそうなってしまうのか。それは、光源氏が「天皇になれなかった皇子」だということと深く関係しているように思われます。光源氏は桐壺帝という帝の皇子であり、才能や素質から次期天皇になる可能性もありましたが、父帝によって「源氏」という臣下に降ろされ、その可能性は途絶えてしまいました。桐壺帝がそのような処遇をとった理由については後で述べますが、いずれにしても、源氏はその不遇感からかえって強い上昇志向を持つようになります。このように見てみると、『源氏物語』は、天皇になりそこねた皇子である光源氏が、満たされぬ心とコンプレックスのないまぜになったところで繰り広げた禁断の恋の物語ということができるのです。