
iPS細胞の作製技術を確立し、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さん。現在も京都とサンフランシスコの研究室を行き来しながら、研究の第一線で活躍されています。
20代のころから杉田先生の番組を聞いていたという山中さんに、face-to-faceの会話の重要性をはじめ、ご自身の英語体験などを語っていただきました。
※『杉田敏の 現代ビジネス英語 2024年 春号』より一部抜粋して掲載。
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論文になる前の情報をいかに早くつかめるかが重要です
杉田: 山中先生に最初にお会いしたのはもう10年ほど前になりますね。京都大学iPS細胞研究所のことを世の中にもっと知ってもらい、多くの寄付を集めるにはどうしたらいいかということで、私が社長をしていたPR会社に相談にいらっしゃいました。会社のホームページを見たら、留学前から聞いていたラジオ講座のあの杉田先生の会社で驚いた、とおっしゃっていました。
山中: そうですね。僕は杉田先生の番組を20代のころから聞いていました。
杉田: ありがとうございます。山中先生は2012年にノーベル賞を受賞されました。ご自身の人生や生活は大きく変わりましたか?
山中: 変わりましたが、iPS細胞の作製に成功してそれを発表したときのほうが、変化は大きかったように思います。それまでは研究漬けの日々でしたが、2006年に論文を発表後、各方面からの取材対応の時間が急に増えましたので。
杉田: なるほど。何かで読みましたが、ご自宅の洗濯機の修理をしているときにノーベル賞受賞の第一報が入ったそうですね。
山中: はい。実は受賞の数年前から、ノーベル生理学・医学賞の発表の日になると“決定的瞬間”を撮ろうと京都大学の広報の方が僕にビデオカメラを向けていました。大学の関係者も会見の準備をされていたので、受賞がないたびに申し訳なく、これはいつまで続くのかと憂鬱でした。でも2012年は体育の日と重なって休日だったため、環境的にも心境的にも無防備な状態で自宅にいたんです。洗濯機がガタガタ鳴るようになってしまったので、僕は床にひっくり返って具合を見ていました(笑)。

対談をする山中伸弥さんと杉田敏先生
杉田: 受賞の知らせは、実際にはどのように伝えられるのですか?
山中: 電話で「あなたが受賞者の1人に選ばれました」と言われ、次に「お受けになりますか?」と聞かれました。断る人がいるのかと驚きましたが、実際に何人かいるようです。
杉田: あるノーベル賞受賞者は受賞スピーチで、「英語は苦手だ」とおっしゃっていました。今は日本語の文献も豊富ですし、自動翻訳システムもあるので、英語にそれほど頼らなくとも研究に支障はないのでしょうか?
山中: いいえ、医学・生理学の分野の研究の多くはアメリカが先頭を走っています。それが論文になるのを待っていたのでは最先端の情報に乗り遅れてしまうので、論文になる前の情報をいかに早くつかめるかが重要です。オンライン会議が発達しているとはいえ、現地でface-to-faceの会話をしないと教えてくれないことも多いですし、英語は必須だと思います。
常にアップデートされた内容には、英語学習を超えた学びがあります
杉田: 私が山中先生との光栄な接点だと思っているのは、NHK放送文化賞の受賞者であることです。山中先生はNHKスペシャル「シリーズ 人体」など科学番組への貢献で受賞されましたが、あの番組は私も面白く拝見しました。
山中: 難しいテーマの番組でしたが、タモリさんと一緒に楽しくやらせていただきました。
杉田: 山中先生には、苦手なものはありますか?
山中: ずばり、英語ですね。いまだに英語には苦労しています。講演は準備ができるのでいいのですが、質疑応答や日常会話はなかなか……。ですからこの場を借りて英語の大切さを伝えたいですね。10代のうちに、できればもっと小さいうちから生きた英語に接すれば、僕のように苦労しなくていいですよ、と。
杉田: そう思いますか?
山中: はい。僕が初めて国際線に乗ったのは30歳のとき、アメリカに留学したのは31歳のときです。留学に向けて英語を猛勉強しましたが、早くから英語に親しんだ人のようにはいかなくて……。タイムマシンで10代に戻れるなら、何よりも英語学習に励むと思います。これはよく話す英語の失敗談ですが、サンフランシスコのホテルのレストランで人と待ち合わせをしたときに、フロントの方にWhere’s the restaurant?と聞いて案内されたとおりに行ったらrestroomで、しかたがないのでひとまずトイレをすませたという……(笑)。

サンフランシスコのグラッドストーン研究所のオフィスで。研究所では、世界各国から集まった研究員たちと、生命科学に関する基礎研究を行っている。 ⓒ京都大学iPS細胞研究所
杉田: 山中先生の奥様の英語力はかなりのものだと聞いています。1977年に高松宮杯(現・高円宮杯)全日本中学校英語弁論大会に出場され、決勝まで進んでいらっしゃいますね。
山中: 彼女は幼いころから英語に触れる機会があったようで、今も発音はネイティブに近いんです。
杉田: 私は1958年に同大会に出場し、80年代からはほぼ毎年審査委員を務めています。これは地方予選を含めて10万人前後が参加する大会で、決勝大会まで進むのは25名ですから、そこまで進んだ奥様は非常に優秀だと思います。
山中: 彼女と僕は中学・高校の同級生で、英語の成績は僕のほうがよかったんです。今も英単語の知識量は僕のほうが多いのですが、夫婦で外国の方と話すといつも彼女の英語力が褒められます。そこで「僕が教えたんです」とジョークを言うと、すごくウケます(笑)。
杉田: 山中先生は留学前に英語を熱心に勉強したということですが、どんな勉強を?
山中: 大学卒業後、2年の臨床研修を経て大阪市立大学大学院の薬理学教室に入ったのですが、修了すると留学する方が多かったので、自分もいつかはと思っていました。ただ、当時の僕の英語力は大学受験のころに比べて相当落ちていて、新婚旅行でハワイに行ったときも現地の人が何を言っているのかまったくわからず、妻に頼りきりでした。留学となるとそうはいきません。とはいえ語学学校に通う時間もお金もなかったので、NHKラジオの英語講座を聞き始めました。
杉田: それまでにラジオの英語講座を聞いたことは?
山中: 中学1年生のときに始めたのは「基礎英語」です。薬理学教室時代には、まず大杉正明先生の「英語会話」、加えて、英語学習のカセットテープを通学時間に聞いていました。いずれも丸暗記できるほど繰り返し聞き、それを2年ほど続けると少し上達が実感できたので、杉田先生の「やさしいビジネス英語」を始めました。
杉田: なるほど。
山中: 薬理学教室は外国の研究者の来訪が頻繁で、最初のうちはその方たちと話すのが苦手でしたが、大学院の3年目ぐらいからだいぶ自信がつき、さらに杉田先生の番組で学ぶようになってからは研究以外の会話にも挑戦できるようになりました。英語力だけでなく「何を話すか」が重要であることを、杉田先生の講座は教えてくれました。幸い先生が講座を続けていらしたので、留学を終えてからも聞きました。僕は一昨年の4月に京都大学iPS細胞研究所所長の職を後任に託して研究の前線に戻ったのですが、所長を務めたそれまでの12年間は組織のマネジメントに携わり、人事評価も役割の1つでした。杉田先生はアメリカの人事評価の動向なども取り上げておられましたよね。人事の専門誌より、よほど影響を受けました。
杉田: 私はアメリカの企業で広報と人事を担当していたことがあります。かつてのアメリカ企業では「仕事ができないやつは去れ」といった風潮でしたが、21世紀になるとwork-lifebalanceということがさかんに言われ、そうした流れを折に触れ紹介してきました。私が番組に込めた意図をきちんと理解してくださって、大変うれしいです。
山中: 杉田先生の番組が2020年度で終了すると知ったときはショックでした。でも、現在のような形で続けてくださり、本当にありがたいです。今朝もランニングをしながら聞いてきました。
杉田: そうなんですか。
山中: はい。たとえば、在宅勤務とオフィス勤務のバランスをどう取るか、といった内容を扱っておられますよね。新型コロナの影響もあって、僕自身の働き方もずいぶん変わっています。そうした常にアップデートされた内容というのは外国の方との会話の材料になりますし、英語学習を超えた学びがあります。
……続きは『杉田敏の 現代ビジネス英語 2024年 春号』に掲載中。
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■『杉田敏の 現代ビジネス英語 2024年 春号』より一部抜粋。
◆撮影/海野惶世
◆取材・構成/髙橋和子
1962年大阪府出身。神戸大学医学部を卒業後、1993年に大阪市立大学大学院医学研究科博士課程を修了。米国グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学教授、京都大学再生医科学研究所教授などを歴任。2010年4月から2022年3月まで京都大学iPS細胞研究所所長を務めた。現在は同名誉所長・教授。2007年より米国グラッドストーン研究所上席研究員を、2020年より京都大学iPS細胞研究財団理事長を兼務している。さまざまな組織や臓器の細胞に分化する能力を持つ人工多能性幹細胞を、2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの皮膚細胞から作製したことを発表。この人工多能性幹細胞を英語でinduced pluripotent stem cellと名づけた(「iPS細胞」はその頭文字をとったものである)。コッホ賞(2008年)、ラスカー賞(2009年)など多数の賞を受賞。2012年にはノーベル生理学・医学賞を受賞した。
昭和女子大学客員教授。1944年東京・神田の生まれ。66年青山学院大学経済学部卒業後、「朝日イブニングニュース」記者を経て71年オハイオ州立大学に留学。「シンシナティ・ポスト」経済記者を経て、73年PR会社バーソン・マーステラのニューヨーク本社に入社。日本ゼネラル・エレクトリック取締役副社長(人事・広報担当)、バーソン・マーステラ(ジャパン)社長、電通バーソン・マーステラ取締役執行副社長、プラップジャパン代表取締役社長を歴任。NHKラジオ講座「やさしいビジネス英語」「実践ビジネス英語」などの講師を、2021年3月まで通算32年半務める。2020年度NHK放送文化賞受賞。著書に『アメリカ人の「ココロ」を理解するための 教養としての英語』(NHK出版)、『英語の新常識』『英語の極意』(集英社インターナショナル)ほか多数。
『杉田敏の 現代ビジネス英語』では、NYのビジネスパーソンの間で話題のトピックを軸に、どんな話題でも語り合える英語力を目指します。
