ニュースの深層がわかる! 教科書が教えない新しい視点の世界史 ~モンゴル帝国から大航海時代前夜【3か月でマスターする】

2024年4月から放送スタートした「3か月でマスターする」シリーズ。メイン講師は、早稲田大学教授の岡本隆司さん。さらに各号ごとにゲスト講師を迎え、広大なユーラシア大陸を主な舞台に、古代から現代まで歴史の大きなつながりを「アジアからの視点」でひも解きます。

ここでは、テキスト『3か月でマスターする 世界史 5月号』から一部をご紹介。中国やモンゴル高原、中央アジアを舞台に、多彩な国家や民族、文化がまとまり新時代を切り開いたモンゴル帝国から大航海時代に至るまで、教科書だけではわからない新たな視点から世界史を捉え直します。

遊牧国家とは?

遊牧民と農耕民

 現在の中国を含むユーラシア大陸の海岸とその周辺は比較的湿潤な気候で、早くから農耕によって暮らしが成り立ちました。一方、それ以外のユーラシア大陸の大半は乾燥気候で、農耕に向かない代わりにステップと呼ばれる草原地帯が東西に広がっていることから、家畜を追って移動して暮らす遊牧を行うようになりました。
 農作物などを蓄えられる農耕民に比べると、草原や家畜の状態に左右される遊牧民の暮らしは厳しいものでした。ただし遊牧民は馬の扱いに長けており、騎馬による軍事力を手にしていました。この軍事力を武器に、騎馬遊牧民を中核とする「遊牧国家」が生まれます。遊牧国家の勢力が拡大した際には、しばしば定住農耕帯の住民や物資を求めて侵入し、軍事的に優勢な少数の遊牧民が多数の農耕民を支配することも多くありました。
 農耕地域と遊牧地域の境目ではこうした争いが起こる一方で、農耕民と遊牧民の違いを生かした交流や交易も盛んでした。遊牧国家内部でも農耕民と遊牧民が共存し、こうした共生関係は、双方に豊かさをもたらしていたのです。

遊牧地域と農耕地域

遊牧地域と農耕地域


遊牧国家と中華王朝 覇権の歴史

 中国本土は淮河(わいが)と秦嶺(しんれい)山脈を結んだ線で南北に分かれます。北の中原(華北)は南の江南(華南)に比べ、降水量が少ないものの、アワやキビなどの栽培が始まると農耕や文明が発展しました。また中原は、遊牧民が暮らすモンゴル高原との間に地勢上はっきりした区切りがないため、たびたび遊牧民に侵入されました。

左)東アジア地図。/右)東アジアの各地域で台頭した王朝の歴史。 遊牧民と農耕民との対立や統一の歴史は紀元前から始まっている。

左)東アジア地図。/右)東アジアの各地域で台頭した王朝の歴史。 遊牧民と農耕民との対立や統一の歴史は紀元前から始まっている。