日常的な話し言葉を用いた「静かな演劇」で、日本演劇の潮流を変えた平田オリザさん。日本語の特性やコミュニケーションのあり方を徹底的に分析してきた彼がたどり着いた「他者と世界を理解する」方法としての演劇とはどういうものなのでしょうか。
 社会的な役割に応じて「演じ分ける」存在であることを宿命づけられた人間にとって、演劇はその起源から「コミュニケーション」と切り離せないものでした。本書では、多様化が加速し、疫病や戦争で人びとの分断も進む社会のなかで、『ともに生きる』ために、演劇をどう活用するかを具体的に提案します。
 日本語や日本文化の特徴も分析しながら、なぜ日本人が「対話」下手なのか、どうすれば「対話の基礎体力」がつくのか——。新刊『ともに生きるための演劇』のプロローグより抜粋してご紹介します。
プロローグ「幕はもう上がっている」より  演劇は、人間や世界をリアルに感じるための有効な手段です。そもそも、多様な他者とイメージを共有し、価値観の差異を認め共同体を維持するために生まれた芸術ですから、演劇にはコミュニケーションのノウハウがあふれているのです。

 世界はいま多様化に向かっています。元来、世界は多様だったのですが、日本でもようやく目に見える変化が起こり始めている。世界各国からの移住者が増え、家族の形や働き方が多様化しています。ソーシャルメディアを使いこなし、軽々と世界とつながり、ネットワークを広げていく若者たちもいます。ダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包括・包含)という言葉も日常的に使われるようになりました。

 さらに、ここ数年、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスの影響、そして、ロシアのウクライナ侵攻——。世界にも日本にも、まさに「強い運命が降りかかっている」のです。そして、そのことによって多様な価値観が表出しつつあることを、みなさんも肌で感じているはずです。

 これからはいままで以上に、多様な価値観が存在し、お互いが「わかりあえないこと」が大いに起こり得る。そのことを前提にして、「多様なままでともに生きる世界」を作っていかなければなりません。
リベラルアーツとしての演劇  「多様なままでともに生きる世界」を成り立たせるためには、何よりも「対話」の力が必要です。そのような「対話」の力は、演劇を通してこそ、確実に学ぶことができると私は考えています。しかし、演劇教育についていうと、世界のなかで日本は長年周回遅れに甘んじてきました。

 フランスやイギリス、アメリカ、韓国など、世界には、俳優や演出家を目指す人たちのための国立の演劇学校、映画や演劇学部のある公立大学が多数存在します。

 また、演劇はプロの俳優や演出家を目指す人だけのためのものではなく、リベラルアーツ(教養教育)としてすべての人に必要なものだと認識されています。特にアメリカでは、どの州立大学にも演劇学部が存在し、専門教育を行うのと同時に、医者、弁護士、教員などを目指す他学部の学生が、副専攻で演劇を選択することがとても多い。演劇の単位を取得していると、「コミュニケーションが得意」「表現力がある」「対話の力がある」とみなされ就職にも有利に働き、実際に演劇の経験やそこでつちかった能力は、仕事の場面でもとても役に立つ。日本では逆に、「大学で演劇をしていた」と言えば、まるで「遊んでいた」「趣味に没頭していた」かのように受け止められ、就職に不利になる時代が長く続いていました。しかし、そのような認識も変わりつつあります。

 私は25年以上前から、一般の方向けに演劇ワークショップを開催してきました。当初は演劇に興味がある熱心な参加者が多かったのですが、その方法論が中学国語の教科書に採用されて以来、20年以上、小中学校や高校、大学など、全国各地の様々な教育現場からの依頼に応じてワークショップを実施しています。私自身も、子どもたちや教員のみなさんと演劇ワークショップを行うなかで、日本の教育にも演劇が必要であることを痛感してきました。
演劇で「対話する力」を伸ばす  2019年、私は東京から兵庫県豊岡市に移り住み、主宰する劇団「青年団」の本拠地も豊岡に移しました。同市では演劇教育に力を入れており、市内すべての公立小学校・中学校(2022年4月現在34校) で演劇ワークショップを実践しています。そして2012年4月、同地に、日本で初めて演劇やダンス、観光やアートを本格的に学べる公立大学も誕生しました。芸術文化観光専門職大学です。私は初代学長となりました。初年度、全国から集まった意欲あふれる学生は84人。志願者数は募集定員の約8倍に上りました。

 私がこの大学での授業をデザインするにあたってもっとも重視したのが「対話する力」を育てることです。講義を60分行ったあとは10分の休憩をはさんでまた60分、教員の裁量で学生同士がグループでディスカッションなどをする時間にあてています。また、学内だけでなく、地域における様々な課題を解決する力を育てるために、授業の3分の1はフィールドワークの実習を組み込み、学生たちが主体的に参加できるようにプログラムを組んでいます。演劇など上演芸術を成立させるには、チームワークもリーダーシップも必要です。そのため、演劇には「対話する力」が不可欠ですし、演劇によって「対話する力」を伸ばすこともできるのです。これらは相互に深くかかわりあっています。もちろん、演技や演出だけを学べばよいというものでもありません。社会における芸術の役割について学び、経営として成り立たせるためにはどうすればいいのか。特に観光との結びつきを強く考え、地域の発展にどのようにアートが貢献できるのかを考えなければならない。さらに、実際の公演では、多様な価値観を持った人間同士が対等な人間関係を作り、パートナーとしてお互いを尊重しながら実践していかなければなりません。

 日本の若者たちは「世界で最も現状に不満がなく、世界で最も未来に希望を持っていない」と言われます。そんななか、芸術文化観光専門職大学に集まってくれた学生たちは、自分の生まれ育った街に誇りを持ち、未来に希望を持っている。彼らの目は、日本の中心ではなく、世界に向いています。卒業後は自分の街に戻り、アートや観光によってその街と世界をつなぎ、国際化を目指すという学生も多いのです。
<本書の構成>
◇プロローグ ——幕はもう上がっている
◇第1章 ——人間は「演じる」存在である
◇第2章 ——演劇で「日本語」を捉え直す
◇第3章 ——「対話の体力」を鍛える
◇第4章 ——これからをともに生きるために
■付録『転校生が来る』台本

※著者の平田オリザさんが、実際に演劇ワークショップで使用しているスキット台本『転校生が来る』を付録として収載しています!
 本書は、演劇人であるからこそ考えられた手法を用いた演劇ワークショップ(※)を使った「対話」力の鍛え方を、実例や成果をもとに紹介。平田オリザさんの思想と実践をわかりやすくまとめた最新のコミュニケーション論の書として、演劇や教育に興味のある人だけではなく、コミュニケーションに興味を持つすべての層に届けたい、という思いから出来上がった一冊です。

 ※『演劇ワークショップ』とは、フィクションの設定を借りてオリジナル台本の台詞を自由に置き換え演じることで「対話」の力を鍛える手法。言葉への意識を高め、他者理解を深め、仲間とともに新しい価値を創り出す充実感を体験する有効な手段のひとつです。
平田オリザ

劇作家・演出家・「青年団」主宰。2021 年より兵庫県立芸術文化観光専門職大学学長。江原河畔劇場・こまばアゴラ劇場芸術総監督。1980 年代後半より、日常的な話し言葉で現実世界をリアルに再現する「現代口語演劇」を提唱し、国内外で注目される。1995 年『東京ノート』で第39 回岸田國士戯曲賞受賞、2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。ほか受賞歴多数。主著に『わかりあえないことから』『演劇入門』『現代口語演劇のために』『演劇のことば』など。小説に『幕が上がる』(2015年映画化)。
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