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※第3~4回は5月16日、第5~7回は5月23日に公開予定です。
しかしながら当時、この本はまったく売れませんでした。とくに第四部は、最初は自費出版で四十部を印刷し、友人に配ったのみだったといわれています。そんな本がその後、現在にいたるまで非常に大きな影響を与え続けています。それはいったいなぜなのでしょうか?
第一に、「私たちはどうやって生きていけばよいのか」という問いについて、これほどまっすぐに記した哲学書はほとんどない、ということがあります。意外に思われるかもしれませんが、哲学書では「認識」や「善悪」の問題などは詳しく扱っていても、人が悩みや苦しみを抱えたときにどう生きるか──いわば泥臭い、でもとても大事な問題──を正面から扱っているものはそれほど多くはありません。『ツァラトゥストラ』は、生きる姿を真摯(しんし)に問うている珍しい本で、読むと胸を打つものがあります。
この点に関わるニーチェの有名な言葉に、「ルサンチマン」というものがあります。これはフランス語ですが、「ねたみ」や「うらみ」の意味です。たとえば「なんで自分はもっと容姿に恵まれなかったのか」「なんで、自分たちばかりがこんな不況のなかで就職活動をしなくちゃいけないのか」といったようなことです。「もし違った環境ならば、自分ももっと幸せだったはずなのに」という「たら・れば」の気持ちを抱えることは、人間だれしも経験があることでしょう。しかし、ニーチェにいわせれば、この思いをずっと抱えていると、なにより自分自身を腐らせてしまいます。「では、この状況のなかで私はどう生きるか」という前向きの気持ちをもてず、受け身の姿勢になってしまいかねない。
ニーチェの人生も、不遇でした。その不遇をどう受けとめて、どうやって力強く創造的に生きるか。ニーチェはこのことを、ほんとうに深く問うています。その言葉は、現代を生きる私たちにも届いてきます。
現代という時代のなかで、私たちには「これこそ価値あるものだ」というもの、つまり理想や夢が与えられていません。かつて二十世紀を生きた人々は、「科学技術の進歩によって人類は幸福になる」(進歩主義)、「市場経済をストップして計画経済にすることで人類は幸福になる」(社会主義)などの理想を信じてきました。また高度経済成長期の日本人は「欧米に追いつけ追い越せ」という夢をもってがんばっていました。しかしいま、私たちは、どちらに向かっていいかよくわからない。何が大切な価値ある生き方なのかもわからない。だから、なかなか元気が出ない。
このような状態のことを、ニーチェは「ニヒリズム」と呼んでいます。「ニヒル」とは「無」の意味で、ニヒリズムとは「これが大事だ」という信じられる価値を見失ってしまうことをいいます。ニーチェはある遺稿のなかで、「私はこれからの二世紀の歴史を描く。ニヒリズムの到来は避けられない。この未来はすでに百の徴候のうちにあらわれている」といっています(『力への意志(*)』序文§2)。
ニーチェの答えについてはこれからお話ししていきますが、あえて一言でいうならば、「固定的な真理や価値はいらない。君自身が価値を創造していかなくちゃいけない」というものです。自分がどんどん楽しくなってくる、アイデアや想いが溢れてくる、そんな方向を自分で見つけていかなくちゃいけない、と。ニーチェはこのニヒリズムの時代に“創造”する生き方を私たちに提案したのです。それこそが「人類への贈り物」だと信じて。
■脚注、図版、写真は権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
1957年、鹿児島県生まれ。哲学者・東京医科大学教授。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。京都精華大学助教授、和光大学教授を経て現職。主な著書に『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)、『哲学のモノサシ』(NHK出版)、『実存からの冒険』『哲学的思考』(ちくま学芸文庫)、『集中講義 これが哲学!──いまを生き抜く思考のレッスン』(河出文庫)など、共著に『よみがえれ、哲学』(NHKブックス)、『完全解読 ヘーゲル「精神現象学」』(講談社選書メチエ)、『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』(講談社現代新書)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
*本書中の引用部分に今日では差別的な表現とされるような語が用いられている箇所がありますが、古典としての歴史的、また文学的な価値という点から、原文に沿った翻訳を心がけた結果であることをご了解ください。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2011年4月と8月に放送された「ニーチェ ツァラトゥストラ」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに第4回放送の対談、年譜などを収載したものです。