創刊10周年を迎えた「100分de名著ブックス」シリーズは、累計50万部を突破しました。「さらに多くの方に名著の魅力に触れてほしい!」との思いから、毎週月曜日、既刊の名著読み解きを1章まるごと公開します! 今回の名著はニーチェの「ツァラトゥストラ」。「100分de名著ブックス ニーチェ『ツァラトゥストラ』」の「はじめに」と「第1章」より、西 研先生による読み解きをご紹介します(第3回/全7回)

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※第5~7回は5月23日に公開予定です。
第1章 ルサンチマンを克服せよ (その2) 二十四歳の古典文献学者として立つ  フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、一八四四年に生まれて一九〇〇年に亡くなっています。その人生を一言でいうと「若くして成功に恵まれたが、後半は挫折と苦悩を抱えつつ執筆し、最後は精神を病んで死んでしまった」ということになるでしょう。

 彼はドイツの東部ザクセン州ライプツィヒ近郊の小村レッケンに、両親とも牧師の家系の息子として生を享けました。父親が五歳のときに亡くなると一家は中都市ナウムブルクへと移り、ニーチェはそこで母と祖母、伯母である父の姉二人と自身の妹、それから小間使いという、女性ばかりに囲まれて育ちます。

 成績は子どものころから優秀で、音楽もナウムブルク一の先生のもとに通い、ピアノの腕前は相当なものだったようです。でも、小さいときから集団生活が苦手で、本当に気持ちの通じる仲間一人か二人と付き合うというスタイルで、それは生涯変わることはありませんでした。
 
 一八五八年、ニーチェは十四歳のときにプフォルタ学院という有名な学校に入学します。ここで二十歳になるまでの約六年間を過ごしますが、その間に詩を書き、作曲をし、哲学論文を記し、ゲルマン英雄伝説の形成についての文献学的研究まで行なっていますから、若いころからきわめて突出した存在でした。ワーグナーを初めて聴いたのもこのころで、最初は音楽家になりたかったとのことです。のちにインド哲学の研究で有名になるパウル・ドイセンとは親友として付き合っていました。

 プフォルタ学院を卒業したニーチェは、一度ボン大学へと入学しますが、翌一八六五年にライプツィヒ大学へと移り、高名な学者であったリッチュル教授のもとで古典文献学を学びます。まずこの「古典文献学」について少々説明しましょう。
 
 古典文献学は、端的にいってしまえば「ギリシャ・ローマの古典を研究する学問」のことですが、ドイツではとても大きな意味をもっていました。十八世紀の後半から十九世紀にかけて、ドイツの知識人たちはこぞってギリシャ・ローマの古典を読みました。それは一種の憧れといってよいもので、ゲーテ、ヘーゲルその他ドイツの知識人たちは「ギリシャ・ローマをモデルにして、これからの人間と社会を考える」という姿勢を一貫してとってきたのです。
 
 その背景として、敬虔(けいけん)なプロテスタントの国ドイツには厳しい掟があり、人間は禁欲的につつましく生きなければならないとされていたことがあります。若者はそうした生き方には抵抗がある。そこでギリシャの古典を読むと、たとえばソクラテスはいろいろな若者たちと自由に語り合い、心から納得できる考えを取り出そうとします。哲学というのは本来そういうもので、自由闊達(かつたつ)な議論が大前提です。ドイツの学生や知識人はこうしたギリシャの自由な生き方に大きな憧れを抱き、それを人格形成の礎にも、また今後の社会の模範にもしたいと考えていたのです。
 
 しかし、ニーチェの生きた十九世紀後半になると、古典文献学では厳密で実証的な文献研究が進み、自分で自由に大切と思える部分を取り出して解釈する読み方は受け入れられないようになります。ニーチェは大学の懸賞論文で、三世紀前半の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』の典拠をめぐる研究をしますが、彼は同時期に、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んで衝撃を受けていますから、自分の思いを大胆に書き出したい気持ちもあったのではないかと思います。しかし、そのようにはやる気持ちを抑えて、厳格に学問的に古典を正確に読むという訓練を行なっていく。そしてその甲斐あって、この論文は学内で賞を獲得し、リッチュル教授の推薦のもと、ニーチェは二十四歳の若さにして、スイスにあるバーゼル大学の古典文献学員外教授に就くという出世を遂げるのです。
あなたは実存派? それとも社会派?  ここで、ニーチェの憧れの人であった哲学者ショーペンハウアーについても触れておきましょう。ショーペンハウアーが若かった十九世紀前半のドイツでは、ヘーゲルの哲学が圧倒的な人気を誇っていて、ショーペンハウアーの人気はさっぱりでした。
 
 ヘーゲルの哲学を一言でいうと、「人類の歴史は、自由がしだいに実現されていく歴史である」というものです。近代になると、神様の教えにひたすら従う生き方に代わって、自分でものを考え自分で判断して自分の意志で生きようとする人間が生まれてくる。つまり人類の歩みとは、無方向、無目的ではなく、「自分が自由な存在であると自覚した個人」が生まれ、それに対応して、社会制度においても人権が認められ議会制が成立していく。ヘーゲルはこう説いたのです。この考えは当時の多くの人々に希望を与えるものでした。
 
 ところが、ヘーゲルより十八歳年少のショーペンハウアーはこれに楯突きます。ベルリン大学でヘーゲルが授業をしていると、自分も同時間に授業をぶつけるなどして対抗意識を燃やす。でも、お客(学生)はさっぱり入らない。勝敗はくらべるまでもなかったようですが、ショーペンハウアーはヘーゲルの何が気にいらなかったのでしょうか。
 
 ショーペンハウアーからすれば、ヘーゲルの考えは「嘘くさい」ということに尽きます。すなわち、生きるということは「この私」がどう生きるかの問題でしかない。そして人生は本質として「苦悩」なのであって、そこを直視せずに歴史や人類の進歩などと浮かれたことをいう人間は信用に値しない、というのです。とても暗くペシミスティック(悲観的)な考え方ですが、例外として「音楽はすごい」と彼はいいます。音楽を聴いているときだけは、この苦痛を忘れてすばらしい陶酔した世界に浸ることができる。「生は苦悩だ。音楽はつかのま、この苦悩を忘れさせる特別な経験なのだ」というのがショーペンハウアーの主張でした。
 
 この考えが、二十歳そこそこの学生ニーチェの胸にぐさりと突き刺さります。「生は苦悩で、音楽だけが忘れさせる」──ここにニーチェは真実の言葉があると感じたのです。しかし、そのショーペンハウアーに夢中になっていることは恩師リッチュル教授には伝えず、ひたすらまじめに文献学の修業をしてバーゼル大学の教授職の座を手にしたのでした。
 そもそも人間には、「実存派」と「社会派」の二つのタイプがあるようです。自分自身の苦悩と生き方にとことんこだわり、あまり社会のことに関心をもたないタイプの人が実存派ですね。それに対して、もちろん個々人の苦悩は大事だけれど、社会をよくするのが先ではないかと考えるタイプの人がいます。これが社会派です。不景気や悪法があればみんなが苦しむわけですから、人々の生活の「基本条件」である社会をよくすることが大切だと社会派の人は考えるのです。ヘーゲルの思想は典型的な社会派です。それに対して、ショーペンハウアーやニーチェはまったくの実存派ですね。
 
 でも、ぼくは思想としては両方とも大事で、上下はつけられないと考えています。それでもあえていうなら、実存の課題のほうが第一のものだと思います。自分という人間が、自分の抱える苦悩に直面しながらどう生きていくのかが、最初の思想の課題。その次に、自分だけでなくてみんなが幸せに生きるための社会的な条件をどうつくるかということが来る。ですから、思想の順番としては実存から社会に向かうのだと考えます。
 
 ただ誤解してほしくないのですが、ヘーゲル自身は実に思慮深い人で、実存的な感度もたっぷり持ち合わせた大きな人物だったのです。ニーチェもヘーゲルその人については(あまり読んではいないようですが)、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせたりはしていません。しかし俗にいう「ヘーゲル主義」──個々人の生のなかにどれほどの深みや闇があるかをまったく見ることなく、社会の進歩だけを謳うような思想──には、ニーチェは大きな違和感を抱きました。この「人間の実存の深みを見ない進歩主義的な思想を破壊する」という感覚は、生涯ニーチェについて回ることになります。
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■『NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ『ツァラトゥストラ』』(西 研 著)より抜粋
■脚注、図版、写真は権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
西 研(にし・けん)
1957年、鹿児島県生まれ。哲学者・東京医科大学教授。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。京都精華大学助教授、和光大学教授を経て現職。主な著書に『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)、『哲学のモノサシ』(NHK出版)、『実存からの冒険』『哲学的思考』(ちくま学芸文庫)、『集中講義 これが哲学!──いまを生き抜く思考のレッスン』(河出文庫)など、共著に『よみがえれ、哲学』(NHKブックス)、『完全解読 ヘーゲル「精神現象学」』(講談社選書メチエ)、『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』(講談社現代新書)などがある。

※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
大人の学び直しにおすすめ! NHK「100分de名著」ブックス&「学びのきほん」シリーズの紹介はこちら *本書における『ツァラトゥストラ』はじめ、ニーチェの著作からの引用部分については、原則として著者の訳によります。例外箇所については、適宜その部分に翻訳者名を記載しました。
  
*本書中の引用部分に今日では差別的な表現とされるような語が用いられている箇所がありますが、古典としての歴史的、また文学的な価値という点から、原文に沿った翻訳を心がけた結果であることをご了解ください。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2011年4月と8月に放送された「ニーチェ ツァラトゥストラ」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに第4回放送の対談、年譜などを収載したものです。
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