創刊10周年を迎えた「100分de名著ブックス」シリーズは、累計50万部を突破しました。「さらに多くの方に名著の魅力に触れてほしい!」との思いから、毎週月曜日、既刊の名著読み解きを1章まるごと公開します! 今回の名著はニーチェの「ツァラトゥストラ」。「100分de名著ブックス ニーチェ『ツァラトゥストラ』」の「はじめに」と「第1章」より、西 研先生による読み解きをご紹介します(第6回/全7回)

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第1章 ルサンチマンを克服せよ (その5) ルサンチマン──無力からする意志の歯ぎしり  以上、ニーチェの人となりがわかるように人生を追ってきましたが、この章では『ツァラトゥストラ』を理解するうえで大切な言葉を二つ覚えていただけたらよいと思います。一つは「ルサンチマン」で、もう一つは「価値転換」です。
 
 まず「ルサンチマン」は「はじめに」でも紹介しましたが、フランス語でressentimentと書きます。sentiment(感情)に繰り返しの re がつくので、感情が振り払えず反復するというつくりの言葉ですが、じっさいには「うらみ・ねたみ・そねみ」を意味します。ニーチェが用いたことで、思想の用語として広く知られるようになりました。
 
 ぼくはニーチェ自身がルサンチマンにとらわれていたと確信しています。あれだけの秀才が『悲劇の誕生』を書いたことでどん底に突き落とされてしまった。自負の塊のような人で「自分の考えていることは絶対に間違っていない」と思っているのに、だれも相手にしてくれない。さらに病気と孤独に悩まされる。まさしくルサンチマンはニーチェ自身の問題であったと思うのです。
 
 ところで意外に思われるかもしれませんが、ルサンチマンという言葉じたいは『ツァラトゥストラ』には現れず、その解説書にあたる『道徳の系譜学』で頻繁に登場し詳説されます。では『ツァラトゥストラ』では何と表現されているかというと、「無力からする意志の歯ぎしり」という言い方になっています。第二部の「救済」の節では次のように語られています。

 「そうだった(Es war ; It was)、これこそ意志の歯ぎしりであり、もっとも孤独な悲哀である。すでになされたことに対する無力──意志はすべての過ぎ去ったものに対して怒れる傍観者である」と。つまり、過去へ戻ってそれを修正することなどできないから、意志は歯がみをして見ているほかない。「こうして意志は、憤懣と不興からさまざまな石を転がして、自分ほど憤懣と不興を感じていないものに復讐する」。何かに復讐したくなる。神様が悪い、社会が悪い、親が悪い、など何でもいいのですが、何かに復讐することによって自分の怒りを紛らわそうとするわけです。「これこそが、これのみが復讐というものだ。復讐、つまり、時間と時間の『そうだった』に対する意志の反抗」。──このようにニーチェは「救済」の節でいっています。
 
 たとえば私たちは「なぜこんな親のもとに生まれたのか」と親をうらむこともありますし、「なぜ俺はあのときあんなことをしたのか、バカだった」と自分をうらむこともあります。そして「もし~だったらなあ」という「たら・れば」も──復讐心とはやや感覚は違いますが──やはり一種のルサンチマンといっていいでしょう。これらのルサンチマンの根っこにあるのは、自分の苦しみをどうすることもできない無力感です。そして絶対認めたくないけれども、どうすることもできないという怒りの歯ぎしり。そこで、この無力からする怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとする心の動きが起こる。これがルサンチマンです。
 
 このルサンチマンがなぜ問題かというと、ぼくなりの言い方をすると「自分を腐らせてしまう」からです。よりニーチェに即していいますと、悦びを求め悦びに向かって生きていく力を弱めてしまうことがまず問題です。そして「この人生を自分はこう生きよう」という、自分として主体的に生きる力を失わせてしまうことが二つ目の問題点です。ルサンチマンという病気にかかると、自分を人生の主役だと感じられなくなってしまうのです。
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■『NHK「100分de名著」ブックス ニーチェ『ツァラトゥストラ』』(西 研 著)より抜粋
■脚注、図版、写真は権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
西 研(にし・けん)
1957年、鹿児島県生まれ。哲学者・東京医科大学教授。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。京都精華大学助教授、和光大学教授を経て現職。主な著書に『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)、『哲学のモノサシ』(NHK出版)、『実存からの冒険』『哲学的思考』(ちくま学芸文庫)、『集中講義 これが哲学!──いまを生き抜く思考のレッスン』(河出文庫)など、共著に『よみがえれ、哲学』(NHKブックス)、『完全解読 ヘーゲル「精神現象学」』(講談社選書メチエ)、『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』(講談社現代新書)などがある。

※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
大人の学び直しにおすすめ! NHK「100分de名著」ブックス&「学びのきほん」シリーズの紹介はこちら *本書における『ツァラトゥストラ』はじめ、ニーチェの著作からの引用部分については、原則として著者の訳によります。例外箇所については、適宜その部分に翻訳者名を記載しました。
  
*本書中の引用部分に今日では差別的な表現とされるような語が用いられている箇所がありますが、古典としての歴史的、また文学的な価値という点から、原文に沿った翻訳を心がけた結果であることをご了解ください。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2011年4月と8月に放送された「ニーチェ ツァラトゥストラ」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに第4回放送の対談、年譜などを収載したものです。
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