創刊10周年を迎えた「100分de名著ブックス」シリーズは、累計50万部を突破しました。「さらに多くの方に名著の魅力に触れてほしい!」との思いから、毎週月曜日、既刊の名著読み解きを1章まるごと公開します! 今回の名著は福沢諭吉の「学問のすゝめ」。「100分de名著ブックス 福沢諭吉『学問のすゝめ』」の「はじめに」と「第1章」より、齋藤 孝先生による読み解きをご紹介します(第2回/全6回)

第1回はこちら/第3回はこちら/第4回はこちら/第5回はこちら/第6回はこちら

※第3~第4回は6月6日に、第5~6回は6月13日に公開予定です。
第1章 学問で人生を切りひらけ(その1) 人間は平等ではない?  福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、日本史上の名著の一つとして、教科書にも必ず登場する本です。一八七二年(明治五年)、福沢が三十七歳のときから小冊子の形で書きつがれ、約五年間で十七編まで刊行したのち、一冊の本としてまとめられました。

 日本人で、この本を知らないという人はまずいないでしょう。しかし、そのような本によくありがちなパターンとして、「存在は知っているけれども、読んだことはない」という人が多いのが残念至極。いろいろな意味でこれほど面白い本はありませんから、ぜひ手に取ってみてください。百年以上も前に書かれたものですが、まったく古びることなく、そうかそうか、そうだったのかと目からうろこが落ちることうけあいです。

 ちなみに、いまのわれわれの言語感覚からすると文章がやや難しいので、おそれながら私は『現代語訳 学問のすすめ』という本を出させていただきましたが、基本的には、福沢自身が「子どもにも理解できるように書いた」と言っているくらい、きわめて理路整然、趣旨明確で、わかりやすい文章です。表現もユーモラスで、笑いを誘われるところがたくさんあります。

 ともあれ、「名前だけ有名な本」の常として、その趣旨は意外に知られていません。ですから、この本はどんな内容だと思いますか? と若い人などに聞いてみると、次のような答えが返ってきます。もっとも多いのは、「人間の平等を説いた本」です。おそらく、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という、あまりにも有名な冒頭の文章からの連想でしょう。二番目に多いのは「学問をすすめた本」です。タイトルそのまんまです。そのどちらも間違いではないのですが、福沢のいちばん言いたかったことからははずれています。では、そのあたりから話を始めることにしましょう。

 まず、福沢は人間の平等を説いたわけではありません、そうではなく、人間は学問をするかしないかによって大きく差がつく。だから、みんな頑張って学問に精を出せ──、と言ったのです。
 原文を引いてみましょう。
(以下、引用文は、声に出して読んでもらうと、福沢の気概と信念が伝わりやすいと思います)
 このように、福沢諭吉は「人は生まれながらにして平等である」といった単純な平等思想を説いたのではなく、人の富貴(地位や財産)はその人の働き次第で決まるのだと、むしろキビシイ競争原理のほうを説いたのです。まずはそのことをよく知ってください。

「賢人(けんじん)と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来(でき)るものなり」、「学問を勤(つと)めて物事をよく知る者は、貴人となり富人となり、無学なる者は、貧人となり下人(げにん)となるなり」と強い言い方をしています。

 ちなみに、「天は人の上に……」の一文は福沢のオリジナルの言葉のようですが、アメリカの独立宣言の一節を意訳したものといわれています。彼はこのあたりの細工が非常にうまくて、要するに文才があるのですが、人の言葉をまるで自分の言葉のように上手に使って惹句(じやつく)にしています。

 では、この本が競争原理を説いたものであるとして、彼はなぜ、このような書きものを世に発表したのでしょうか。それは、明治維新という未曽有の大転換期を乗り切っていくためにはどうしたらよいのかという、一種の危機意識から書かれたのです。

 この本が世に出たのは、明治に改元されて間もないころです。二百五十年以上続いた幕府は崩壊し、藩も解体し、それまで刀を腰にさしていばっていた武士のほとんどが失業しました。「新しい政府」というものが東京にできたというけれども、それがどういうものなのか、一般の国民にはほとんどわからなかったころです。鎖国も解かれたため、これからは海の向こうの国々ともどんどんつきあっていかなければならなくなりました。これは想像を絶する変化です。この本は、そのような世の中を生き抜いていくための指南書でもあったのです。
 心理学者で「アイデンティティ」の概念を提唱したことで知られるE・H・エリクソンという人がいますが、この人の考え方でいくと、日本人はいわゆる「御一新」のとき、それまでのアイデンティティを失ったのです。自分は○○藩の家老であるとか、自分は将軍様直轄の田地を耕している農民であるとか、自分はお大名の××様出入りの商人(あきんど)であるとか、そういった封建時代の身分や精神はきれいさっぱりリセットされました。そして、新時代にあわせて新しいアイデンティティを作り出さねばならなくなったのです。ちょんまげや大小の刀といった「外見」も変えなければなりませんでしたが、同時に「中身」のほうも、時代にあわせて変えなければなりませんでした。そのような状況の中で、福沢が「これでいけ!」と方向性を指し示したのが、『学問のすゝめ』だったわけです。 第1回はこちら
第3回はこちら
■『NHK「100分de名著」ブックス 福沢諭吉『学問のすゝめ』(齋藤 孝著)より抜粋
■脚注、図版、写真は権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
齋藤 孝(さいとう・たかし)
1960年、静岡県生まれ。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒業後、同大学院教育学研究科博士課程を経て現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション技法。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」の総合指導を務めるなど、子どもの教育に力を入れている。著書に『身体感覚を取り戻す』(NHKブックス・新潮学芸賞受賞)、『声に出して読みたい日本語』(草思社・毎日出版文化賞特別賞受賞)、『読書力』『コミュニケーション力』(ともに岩波新書)、『座右の諭吉』(光文社新書)、訳書に『現代語訳 学問のすすめ』『現代語訳 論語』(ともにちくま新書)ほか多数ある。

※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
大人の学び直しにおすすめ! NHK「100分de名著」ブックス&「学びのきほん」シリーズの紹介はこちら *本書は、「NHK100分de名著」において、2011年7月に放送された「福沢諭吉 学問のすゝめ」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに第4回放送の対談と読書案内、年譜などを収載したものです。

*本書における本文中『学問のすゝめ』の引用部分は、福沢諭吉著・伊藤正雄校注『学問のすゝめ』講談社学術文庫に、文中の現代語訳は福澤諭吉著・齋藤孝訳『現代語訳 学問のすすめ』ちくま新書によりました。
NHKテキストからの試し読み記事やお役立ち情報をお知らせ!NHKテキスト公式LINEの友だち追加はこちら!
関連記事