20世紀最大の哲学書と称される、ハイデガーの『存在と時間』。その醍醐味とはいったい何なのでしょうか。
 NHKテキスト「100分de名著」から、哲学者・戸谷洋志(とや・ひろし)さんによる『存在と時間』読み解きの第1回「『存在』とは何か」の一節を、抜粋掲載します。
「存在」とは何か 短期間で書き上げた未完の大著  哲学者マルティン・ハイデガーの生まれた南ドイツのメスキルヒという町は、荒涼とした風景の広がる田舎町として知られています。

 マルティンという名は、彼の父親が堂守を務めていた聖マルティン教会にちなんで付けられたとも言われています。ハイデガーは二十歳のときに名門フライブルク大学神学部に進学。最初の専攻はキリスト教神学でしたが、当時、注目を集めていた哲学者フッサールの著作に触れ、哲学の研究にのめり込むようになります。その後、哲学部へと編入し、教授資格論文ではスコラ哲学をテーマに選びました。

 二十世紀最大の哲学者として歴史にその名を刻むハイデガーですが、そのキャリアは最初から順風満帆だったというわけではありません。教授資格論文の提出後、彼は郵便局で仕事をする傍ら、母校フライブルク大学では固定給の支払われない私講師として授業を持ちました。その後、何度か訪れた就職のチャンスを逃しながらも、その後に赴任してきたフッサールの助手となり、アリストテレスをはじめとする古典的な文献の読解に専念しました。

 マールブルク大学に移って不安定な講師職を脱したのは、三十四歳のとき。しかし、ここでのポジションは、員外教授というものでした。このとき、正教授への昇進を阻んでいたのは、教授資格論文の出版以降、彼に著作がないということでした。もちろん研究は進んでいましたし、彼の講義は人気もあったようですが、この時点ではおよそ十年間にわたって単著が一つもなかったのです。

 とにかく一冊書かなければ──という焦りを抱きつつ、短期間で書き上げられたのが、一九二七年、ハイデガー三十七歳のときに公刊された『存在と時間』です。当初は上下二巻の著作になる予定でしたが、とりあえず前半部分を単行本として出版。しかし、とにかく時間がなかったハイデガーは、原稿がすべて清書されるのを待ってから印刷するのではなく、書けたところから順次印刷に回すという、普通なら考えられないような切羽詰まったスケジュールのなかでこの本を書き上げました。その無理が災いしてか、後半部分は書き進めることができなくなり、結局公刊されずじまいになってしまいました。その意味では『存在と時間』は未完の著作といえます。同年十月、ついに念願かなって、ハイデガーはマールブルク大学正教授の地位を手に入れ、翌二八年の十月には、母校フライブルク大学に正教授として凱旋(がいせん)することになりました。
フライブルク大学(テキストにはこの写真は掲載されておりません)©shutterstock 既存の哲学を根底から問い直す  予定の半分しか書かれていないにもかかわらず、『存在と時間』は発表直後から非常に高い評価を得ました。当時のドイツ哲学界に与えた衝撃は大きく、たとえばオットー・フリードリッヒ・ボルノウは「まことに革命的な一大事件」と評し、またゲオルグ・ミッシュは「落雷のような衝撃をもたらした」と評しています。この著作はハイデガーに世界的名声をもたらすと同時に、現代哲学の潮流を方向づけることとなったのです。

 本書が発表されて以降、多くの哲学者がハイデガーを継承し、また乗り越えようと試みてきました。その軌跡がそのまま現代哲学の歴史を作ってきたと言っても過言ではありません。影響は、精神医学や心理学、教育学など哲学以外の領域にも及びました。さらに、彼の思想は日本の哲学界にもリアルタイムで伝わっていました。マールブルク大学でハイデガーの講義を受けた三木清(みききよし)や、三木の師で京都学派の泰斗・西田幾多郎(にしだきたろう)をはじめ、数多(あまた)の哲学者が影響を受け、また応答を試みてきました。

 未完に終わったにもかかわらず、なぜ、『存在と時間』はそれほど大きな影響を与えることができたのでしょうか。その一番の理由は、この本が持つテーマの壮大さにあります。すなわちハイデガーはそこで、西洋の哲学史をすべて視野に収め、それを批判し、その歴史を根底から覆そうとしたのです。

 タイトルにも示されている通り、この本のメインテーマは、「存在」とは何かを明らかにすることです。アリストテレス以来、「存在」は二千年以上にわたって哲学の基礎的な概念として扱われてきました。しかし、そこには決定的な不備があったとハイデガーは批判します。私たちは、まだ「存在」が何であるかを分かっていないのに、まるで分かっているかのように議論をしてしまっているのです。だからこそ、今こそ「存在とは何か」「存在するとはどういうことなのか」という、哲学における最も重要で根源的な問題を改めて問い直そう、それによって哲学だけに留まらないあらゆる学問の基礎を形作ろう。そうハイデガーは訴えました。この壮大な展望に、多くの読者が魅了され、また心を打たれたのではないかと思います。

 しかし、『存在と時間』が革新的だったのは、その問題設定だけではありません。彼は、「存在とは何か」という、一見あまりにも抽象的な問題を扱うにもかかわらず、この問題をあくまでも人間の日常生活から考えようとしました。実際に、この本を読み進めていく読者は、彼が提示する身近で豊かな具体例の数々に驚くはずです。

 たとえばこの本のある箇所では、なぜ人は「好奇心」を持つのか、という問題が論じられています。人は、今目の前にあるものをじっくりと楽しむのではなく、次から次へと新しいものに目移りし、せわしなくいつでも最新のものに興味を持ちます。そうした様子は傍(はた)から見ると落ち着きのない姿のようにしか見えません。なぜ、人はそうした状態に陥ってしまうのでしょうか。

 動画配信サービスが巷(ちまた)に溢(あふ)れ、毎日のように最新のコンテンツが届けられる今日において、こうした好奇心をめぐるハイデガーの問いかけはまさに私たちの胸に響くものではないでしょうか。ここには時代を超えるハイデガーの人間観察の鋭さが垣間見えます。

 一方において、「存在とは何か」という最高度に抽象的な問題を扱いながら、他方において、それを人間の具体的な日常生活のなかから解き明かしていく。その二つの間を往復しながら、ときに読者に共感を呼び起こし、ときに読者を翻弄し、立ち止まらせ、思考の深みへと誘(いざな)っていく。それが『存在と時間』の持つ、唯一無二の醍醐味(だいごみ)であると言えるでしょう。

テキストではこのように学べます 戸谷洋志(とや・ひろし)
哲学者、関西外国語大学准教授。1988年、東京都生まれ。ドイツ現代思想研究に起点を置いて、社会におけるテクノロジーをめぐる倫理のあり方を探求する傍ら、「哲学カフェ」の実践などを通じて、社会に開かれた対話の場を提案している。
著書に『ハンス・ヨナスを読む』(堀之内出版)、『ハンス・ヨナス 未来への責任』(慶應義塾大学出版会)、『原子力の哲学』(集英社新書)、『Jポップで考える哲学』(講談社文庫)など。共著に『漂泊のアーレント 戦場のヨナス』(慶應義塾大学出版会)など。2015年「原子力をめぐる哲学─ドイツ現代思想を中心に」で第31回暁烏敏賞受賞。
◆「NHK100分de名著 2022年4月 ハイデガー『存在と時間』」より
◆本書における『存在と時間』からの引用は、中山元訳の光文社古典新訳文庫版に拠ります。
■脚注、図版、写真は記事から割愛しております。詳しくはテキストをご覧ください。
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