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※第4~5回は6月27日に公開予定です。
アランは当時としては非常に珍しい、ジャーナリズムと深く関わった哲学者でした。一九〇三年、「ルーアン新聞」に「Propos de dimanche(プロポ・ド・ディマンシュ)」という記事を連載し始めます。「プロポ」はフランス語で「語録」、「ディマンシュ」は「日曜日」という意味ですので、「日曜雑話」とでも訳せばいいでしょうか。便箋二枚でひとつの話題について書くという、今で言うコラムのようなものです。ただ、コラムといっても思いつくままに書いているのかというと、けっしてそうではありません。それは、ひとつの集中した考察のために立てた主題であり、それに向かうためには途方もない凝縮力を必要とする作業だ、とアランは後に述べています。
彼はその生涯で厖大(ぼうだい)な数のプロポを執筆し、その数は五千を超えるとも言われています。現在私たちが読めるのは、そのごく一部に過ぎません。ですから、アランの哲学は過去の哲学というよりも、むしろまだまだ未知なる部分が多いというのが本当のところです。
プロポは書かれた年代順に本として出版するかたわら、テーマ別に集め直すという、縦糸と横糸のような二つの軸で編まれていきました。テーマ別の種類としては、『宗教についてのプロポ』『美学についてのプロポ』『経済についてのプロポ』『教育についてのプロポ』『文学についてのプロポ』『キリスト教についてのプロポ』などがあります。そのなかの一つが『幸福についてのプロポ』で、これが日本で言う『幸福論』です。
一九二八年の『幸福論』第二版には、九十三編のプロポが収録されました。並び方は時系列に沿ってはおらず、一九〇五年から一九二六年までの二十一年間にかけて書かれたものから、「幸福」をテーマにしたものがピックアップされて並んでいます。おおまかな内容は、不幸と思い込む原因となる心身の関係性から始まり、自分自身との付き合い方、対人関係、幸福になるための心掛けへと流れていきます。
当時、プロポという形式で哲学的思考を発表することは、前例のない斬新な手法でした。実際に、当初は「秩序も類別もなく、軽薄だ」との悪評も立っていたようです。しかし、アランはこの短いプロポという形式を変えることはありませんでした。「体系、システムは精神の墓場だ」というのが彼の主張だったのです。
現在の視点で見てみると、たとえばスピノザの『エチカ』やモンテーニュの『エセー』、日本で言えば兼好(けんこう)法師の『徒然草(つれづれぐさ)』、などと並ぶほどの画期的な表現形式を、アランは生み出したと言えます。それは『幸福論』が現在でも広く人々に親しまれていることからも、証明できるのではないでしょうか。
「はじめに」でも少し触れましたが、『幸福論』はいわゆる体系立てて「幸福とは」ということを大上段に論じた哲学書ではありません。毎日の暮らしのなかで自分はこう考えたと読者に伝える、いわばやわらかい哲学です。
そもそも、アランは「幸福」をどのようにとらえていたのでしょうか。
幸福を追求することは、いつの時代も変わらない人間の欲求です。誰も進んで不幸になろうなんて人はいません。古代ギリシャ以来、哲学もまた「幸福とは何か」「善き人生とは何か」を絶えず探求してきました。しかし、そこには幸福それ自体を「徳」だとはみなさない立場が、強固なものとしてずっとあったのです。
どういうことかというと、たとえばみなさんが他人に対して「あいつ、なんか幸せそうだな」と言ったときに、どこかに軽蔑の気持ちが混ざってはいないでしょうか。あるいは、「幸せボケ」などという言い方もそうです。一所懸命ものを考えている人と幸福とが反対の関係にあるような通念を私たちは心のどこかに抱いています。
苦しんでいる人、悲しんでいる人、後悔している人、そういう人から何か高尚な思想が生まれてくる。すなわち、そういう人こそが有徳であり、美徳を兼ね備えているという発想があります。
あるいは、倫理的に高潔であることを「不幸」「悲惨」「悲しみ」と結びつける傾向が私たちにはあり、これが他人の「不幸」「悲惨」「悲しみ」である場合には、深くそれに同情することが高潔である──と考えられています。多くの場合、人の痛みが分かる人は肯定的に評価され、人の痛みが分からない人は否定的にみなされます。「人の痛みが分からない」と言ったら、大方けなされてしまう。そうした非常に強固な立場が昔から存在しているのです。
これに異を唱えたのは十七世紀の哲学者スピノザです。スピノザは著書『エチカ』のなかで、こう述べています。「至福は徳の報酬ではなくて徳それ自身である。そして我々は快楽を抑制するがゆえに至福を享受するのではなくて、反対に、至福を享受するがゆえに快楽を抑制しうるのである」(『エチカ』下巻、畠中尚志訳、岩波文庫)。つまり、快楽を抑制したから人間は幸福になるのではなくて、幸福であるから快楽を抑制することができる──ということです。
アランもスピノザの考え方を継承します。『幸福論』のなかでアランは、次のように述べています。
アランは、あくまで自分が幸福になることが、他人にとっても幸福なのだと諭します。こんなことも言っています。
*( )内の数字は『幸福論』の各プロポの番号を指します。また、本書における『幸福論』の引用部分は著者の訳によります。
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1957年、香川県に生まれる。一橋大学社会学部卒業。パリ第8大学哲学科留学。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。琉球大学講師、東京都立大学人文学部助教授を経て、明治大学文学部教授。哲学研究者。専攻は19、20世紀フランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史。「生理学」「心理学」「精神分析」「社会学」など19世紀を通じて醸成された人間科学の諸相を分析し、そこに孕まれた諸問題の現代性を考察している。加えて17世紀以降のユダヤ人問題とも取り組んでいる。著書に『ジャンケレヴィッチ』(みすず書房)、『レヴィナスを読む〈異常な日常〉の思想』(ちくま学芸文庫)、『サルトル「むかつき」ニートという冒険』(みすず書房)、『吉本隆明と柄谷行人』(PHP新書)などがある。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。