創刊10周年を迎えた「100分de名著ブックス」シリーズは、累計50万部を突破しました。「さらに多くの方に名著の魅力に触れてほしい!」との思いから、毎週月曜日、既刊の名著読み解きを1章まるごと公開します! 今回の名著はアランの『幸福論』。「100分de名著ブックス アラン『幸福論』」の「はじめに」と「第1章」より、合田正人先生による読み解きをご紹介します(第4回/全5回)

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第1章 人は誰でも幸福になれる (その3) 不幸の理由はどこにある?  『幸福論』のなかには、自分のことを不幸だと思っている人がたくさん登場します。

 「不幸」というものの本質は、あらかじめ決まっているわけではありません。つまり、何をもって「不幸」と言うかは人それぞれです。だから私たちはよく、「あなたなんか不幸じゃない、不幸なのは私だ」とか、「私のほうがあなたより不幸だ」とか、不幸の品評会をやらかしてしまいます。言い方を換えると、「不幸」という言葉で私たち一人一人が言い表したいと思う状態がある、ということです。

 アラン自身は『幸福論』の冒頭でこう言っています。
 『幸福論』に書かれているのは、「本物の不幸」ではなく、「不幸だと自分で思っている人」についてだ、と彼は言っています。ラッセルもそうです。

 それでは、なぜ人は自分を不幸だと思ってしまうのでしょうか。それは、「情念(パッション)」に支配されているからです。「情念」というと、少し聞き慣れない言葉かもしれません。詳しくは第2章で取り上げたいと思いますが、ここでは「心のうちにある、なにかしら理性的に片付けることができないもの」と考えてください。

 意識せずともしようとも、私たちはみな情念に支配されています。あるいはそれから逃れようとして、結局それにとらわれていることもあるかもしれません。アランはこの情念こそ、人が「自分を不幸だと思う」ことの根本にあるのだと言っています。でも一方で、私たちが理性だけで生きていけるかというと、それは無理な話です。となると、情念と関わり合いながらしか幸福というものを考えることができない、ということにもなってしまいます。
 少し抽象的になってしまったので、ここからは詳しく見ていきましょう。

 まず、「自分を不幸だと思っている人」の抱えている問題は、「本物の不幸」より深刻ではないのでしょうか。『幸福論』に登場するのは、周期的躁鬱(そううつ)患者、子どもに戻った老人、アルコール依存症や神経衰弱、神経症、記憶喪失、失語症、腎臓結石、抑鬱病、不眠症などに罹(かか)った人々、一九一二年に難破したタイタニック号のことなど恐ろしい思い出を持った人々などです。彼らはみな、心身の苦しみや不機嫌や憂鬱を抱えた、不幸とみなされたり、自分を不幸と思っていたりする人たちです。彼らはけっして「大したことはない」と無視してよい人たちではありません。これは、今私たちが生きている現代の状況とも重なってきます。

 しかし、アランは「ただ待つだけだったら、不幸しかない」と言うのです。こんなふうに言っています。
 「王子」は何を待っているのでしょうか。「人が楽しませてくれること」、まさに「幸福」を待っているのです。自分からは動かない。だからこそ不幸になるのです。

 あるいはこうも言っています。
 自分を不幸だと思うとき、私たちは友人が悪い、家族が悪い、先祖が悪い、地域が悪い、社会が悪い、世間が悪い、あの人が悪い、あの国が悪い、世界が悪い──と考えてしまいがちです。自分の不幸を、他のものや人のせいにするわけです。よく言えば、こうした反骨精神は、さまざまな社会運動を生んでいく力にもなりますが、たいがいは責任転嫁になってしまいます。一方で私たちは、本当は自分自身が自分の不幸の原因であることに、実はどこかで多少なりとも気づいています。だけど、それを認めようとはしない。

 現代の人々の争いや暴力や虐待なども、これと同じメカニズムで生じているように思えてなりません。気分を野放しにしておくと、どんどん不幸のほうに吸い寄せられていってしまうのです。アランはこれこそが諸悪の根源だととらえ、「人間にとって最大の敵は自分自身である」と喝破(かつぱ)しています。
ピンを探せ  ここまでの話でもお分かりのように「幸福論」とは、実は「不幸論」にほかなりません。

 アランが言いたかったのは、「困難も不幸も本当の原因さえ分かれば、多くの場合、対処法はさほど難しいことではない」ということです。しかし、人は原因ではなく苦しみのほうしか見ようとしないため、不幸を感じてしまう──。このことを端的に表した逸話が、『幸福論』のなかにも紹介されていますので、それを見てみましょう。
 赤ん坊が泣きやまない。困った乳母はそのとき、赤ん坊の性質に対してあれこれと憶測を立てます。両親に問題があるのではないか、父親の性格に問題があってそれが遺伝したのではないか、と想像だけが膨らんでいきます。しかし実際のところ、赤ん坊が泣いている本当の原因は、産着(うぶぎ)のなかにピンが挟まっていたからでした。

 つまり、赤ん坊は親譲りの癇癪(かんしやく)もちでぐずっていたのではなく、きわめて単純で物理的な理由から泣いていたというわけです。

 アランは、この話のすぐ後に古代ギリシャの英雄の逸話を続けます。

 誰もが「荒馬だ」とブケファラスの性質を決めてかかっていたのに対し、アレクサンドロスはブケファラスを冷静に観察した。そして、すぐに暴れている原因を突き止めたのです。

 いかがでしょう。アランの言わんとするところが、なんとなく分かってきたのではないでしょうか。アランは恐怖や不安を感じるのに身を任せてそれを増幅させるのではなく、それらを引き起こした「ピン」、つまり原因を探せ、と言っているのです。さもなければ、手に負えない情念にとらわれて、真の原因に、ますます気づかなくなる──と。そうなるともう、苦しみばかり見て、ピンに気づいてもらえなかった赤ん坊のように泣き叫び続けることになってしまいます。幸福になるための第一歩は、不幸や不満の原因を探ることにあるのです。でも、ピンはそう簡単には見つからないかもしれません。



*( )内の数字は『幸福論』の各プロポの番号を指します。また、本書における『幸福論』の引用部分は著者の訳によります。
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■『「100分de名著ブックス アラン『幸福論』』(合田正人著)より抜粋

■脚注、図版、写真は権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
合田正人(ごうだ・まさと)

1957年、香川県に生まれる。一橋大学社会学部卒業。パリ第8大学哲学科留学。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。琉球大学講師、東京都立大学人文学部助教授を経て、明治大学文学部教授。哲学研究者。専攻は19、20世紀フランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史。「生理学」「心理学」「精神分析」「社会学」など19世紀を通じて醸成された人間科学の諸相を分析し、そこに孕まれた諸問題の現代性を考察している。加えて17世紀以降のユダヤ人問題とも取り組んでいる。著書に『ジャンケレヴィッチ』(みすず書房)、『レヴィナスを読む〈異常な日常〉の思想』(ちくま学芸文庫)、『サルトル「むかつき」ニートという冒険』(みすず書房)、『吉本隆明と柄谷行人』(PHP新書)などがある。

※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
大人の学び直しにおすすめ! NHK「100分de名著」ブックス&「学びのきほん」シリーズの紹介はこちら *本書は、「NHK100分de名著」において、2011年11月に放送された「アラン 幸福論」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに第4回放送の対談と読書案内、年譜などを収載したものです。
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