創刊10周年を迎えた「100分de名著ブックス」シリーズは、累計50万部を突破しました。「さらに多くの方に名著の魅力に触れてほしい!」との思いから、毎週月曜日、既刊の名著読み解きを1章まるごと公開します! 今回の名著はブッダの『真理のことば』。「100分de名著ブックス ブッダ『真理のことば』」の「はじめに」と「第1章」より、佐々木 閑先生による読み解きをご紹介します(第2回/全4回)

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※第3~4回は8月8日に公開予定です。
第1章 生きることは苦である(その1) ブッダが説いた原初の教え  仏教は、キリスト教やイスラム教など、他の宗教にくらべてはるかに多様性の高い宗教です。日本の仏教だけでも禅宗、浄土宗、浄土真宗、天台宗、真言宗、日蓮宗などなど、数多くの宗派がならびたっていますし、世界全体でみれば、それこそ数え切れないほどの異なる教団がそれぞれ別個に活動しています。仏教という宗教は、実際には「仏教」という一つの言葉でくくるのが難しいほどに変異性の高い、さまざまな思想の集合体なのです。

 しかし、その多種多様な仏教も、もとをたどれば、たった一人の人が生み出した一つの教えでした。その教えが、五百年、千年といった長い時間を経てさまざまに変化し、それが今の複雑な仏教世界を生み出したのです。

 その、最初の一人、仏教の創始者がブッダです。時にはお釈迦さまとか釈迦牟尼とも呼ばれる、歴史上の人物です。ですから、仏教の基本を知りたかったら必ずブッダに戻らなければなりません。ブッダその人の教えこそが、仏教の土台なのです。本書では、そのブッダの教えの中でも最も重要なものとして世界中で愛読されている、『ダンマパダ(真理のことば)』という本をご紹介します。

 仏教に「お経」というものがあることは皆さんご存じだと思います。それはブッダが弟子たちのために説いた教えをまとめたものです。したがって建て前から言えば、お経に書かれていることはすべて「ブッダの教え」ということになるのですが、実際はそうではありません。ほとんどのお経は、ブッダが亡くなった後の長い歴史の中で、別の人たちが作ったものです。今、私たちの手元に残っているお経のほとんどすべては、ブッダ本人の言葉ではないのです。

 これは残念なことですが、だからといってがっかりする必要はありません。今残っているお経を研究し分析すると、どれが古くてどれが新しいか、という時代の前後関係はわかります。そしてその中で一番古いものが、当然ながら、ブッダに一番近いお経ということになります。それがたとえブッダ直伝の言葉でなかったとしても、ブッダの思いを色濃く残しているという点で、それは間違いなく仏教の基盤となるものです。『ダンマパダ』は、そういった最古層経典の一つなのです。

『ダンマパダ』などの、ブッダの時代に近い、古い段階のお経をまとめて「ニカーヤ」と言います(中国では「阿含(あごん)」と呼ばれました)。ニカーヤはすべてパーリ語という古代インド語で書かれていて、今でもタイやスリランカなどの南の仏教国では、一番大切な聖典としてあがめられています。ところが日本の仏教は、ニカーヤよりもずっと後にできた別のお経(大乗仏教のさまざまなお経)をもとにしているため、ニカーヤを重視せず、そのため日本人がニカーヤの教えに触れる機会はほとんどありませんでした。日本人が『ダンマパダ』などのニカーヤ教典に注目するようになったのは明治以降のことです。

 ニカーヤに含まれているたくさんのお経は、今あるすべてのお経の中でもとくに古いものばかりですから、どれも重要なのですが、中でも『スッタニパータ』というお経は、一番古いことが研究によってわかっています。ニカーヤの中で一番古いのですから、当然、世界一古いお経ということになります。そういう意味では仏教の土台として、この『スッタニパータ』を紹介してもよいのですが、ただ『スッタニパータ』よりも一段階新しい『ダンマパダ』のほうが内容がわかりやすく具体的で、しかも多くの人たちに影響を与えてきたという点で現代人にも有用ですので、本書ではこちらを取り上げたのです。ニカーヤの全体像についてはコラムを参照して下さい。

『ダンマパダ』の「ダンマ」はパーリ語で「法」「真理」を意味し、「パダ」は「言葉」という意味ですから、「ダンマ」+「パダ」で“真理の言葉”という意味になります。日本では『法句経(ほつくぎよう)』という名で知られています。内容は、仏教に従って生きる者の基本的な心構えを示したもので、四百二十三の詩句が二十六の分類に沿って編まれています。

 現代における『ダンマパダ』の位置づけは、たとえて言えばキリスト教の聖書のようなもので、タイなどの南の仏教国を中心としてほとんどの仏教圏で広く読まれています。現在までに世界で百本以上もの翻訳が刊行されており、ブッダの経典の中でも人気ナンバー・ワンです。日本でも、中村元訳の『真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)をはじめ、十種類以上の翻訳本が出ています。

 まずその言葉の中から、いくつかを見てみましょう。
 このような言葉が四百あまり綴(つづ)られているのです。

 現代語に翻訳してしまうと「お経」という感じはあまりしませんが、パーリ語の原文はきれいなリズムと韻(いん)を踏んでいて、声に出して詠(よ)むのにふさわしい文章となっています。
 そのような『ダンマパダ』についてこれからお話ししていくわけですが、その前に、ブッダが創始した頃のおおもとの仏教と、今われわれ日本人が「仏教」と呼んでいる宗教の間に、非常に大きな違いがあるという点を指摘しておこうと思います。仏教多様化の歴史はかなりややこしいのですが、大枠をざっと見てみましょう。

 ブッダは今から二千五百年くらい前にインドの北方、現在のネパール領内で生まれ、その後亡くなるまで、北インドの狭い範囲だけで活動しました。ブッダの没後、その教えはまず西のほうに伝わり、海岸に到達すると海伝いに南下してスリランカに入り、さらに海沿いに北上して東南アジアのタイ、ミャンマーなどに根づきました。これがいわゆる「小乗仏教」と呼ばれる仏教で、ブッダの教えをかなり正確に残した教派です。「ニカーヤ」を聖典として重視するのはこの人たちです。ただし「小乗仏教」というのは、敵対する大乗仏教側からの敵意のこもった蔑称(べつしよう)ですから正当な呼び名ではありません。現在、当地の人びとは自分たちの仏教を「上座部(じようざぶ)仏教」と呼んでいます。

 一方、ブッダ入滅後の仏教は南だけでなく、陸伝いに北のほうへも伝わったのですが、シルクロードがまだ開通していなかったため、中国まで行き着くことはできず、長く国境付近で足踏みする格好になりました。そうこうするうちに、紀元前後頃にインドの仏教世界で、内容的にかなり変容した第二派として「大乗仏教」が起こります。釈の仏教は、「ブッダの教えに従いながら、自分で努力して悟りを開く」という自助努力の宗教だったのですが、これに対して大乗仏教は、「超越的な救済者や、不可思議な力の助けを借りて、自分自身が釈と同じブッダの位にまで行こう」と考えるのです。これが、それまで国境で足踏みしていたオリジナルの仏教と肩を並べて、折から開通したシルクロードを伝って中国に入ります。つまり中国へはオリジナルの仏教と大乗仏教が並んで入っていったわけです。

 違った二種類の教えが「仏教」の名のもとに一度に入ってきたので、中国の人たちは混乱するのですが、神秘性と寛容性を重視する大乗仏教のほうが民衆にアピールしたため、こちらのほうが好まれ根づきました。日本は、その中国から仏教を輸入したため大乗仏教一色の国になったのです。

 このような事情で、日本の仏教は、本来のブッダの教えからずいぶん違った形になっています。かといって、スリランカやタイなどの現在の上座部仏教がブッダの教えそのものなのかというと、そういうわけでもありません。ブッダ以来二千五百年という年月の中で、教義にも、そして実際の僧団運営の姿にもさまざまな変化が表れているのです。ですから本書では、そういった変容した仏教と区別するため、ブッダが説いた原初の教えについては、「釈迦の仏教」という独自の言葉を使っていくことにします。
王子の身分を捨てて  では次に、ブッダとはどのような人で、なぜ仏教の開祖になったのか、その点についてお話ししましょう。

 ブッダは紀元前五、六世紀頃、ヒマラヤ山脈の南麓にあったカピラヴァットゥという国の王子として生まれました。生まれた時につけてもらった本名はゴータマ・シッダッタと言います。ブッダというのは、シッダッタが出家して悟りを開き、最高の宗教者として皆から尊敬されるようになった後の敬称です。ブッダとは「目覚めた人」「悟った人」という意味です。そのシッダッタが実在の人物であったことは、ほぼ間違いありません。根拠は、紀元前三世紀にインドを統一したマウリヤ朝のアショーカ王がブッダの事績をたたえ、その生誕地などの詳細な情報を碑文に残しているという事実です。

 シッダッタは幸福で、なに不自由のない少年期を過ごし、そのままいけば普通に王位を継承するはずでした。ところがある時、「人生の充足は、地位や名誉や財産などでは得られない」ということに気づいてしまい、生きることが苦しくてたまらなくなります。そして、その苦しみを克服するために、家も地位も捨て、すでに妻子もいたのにそれも置き去りにして、二十九歳で出家してしまうのです。
 この時の事情を、もう少し詳しく説明しましょう。伝説によるとシッダッタが生まれた時、占い師が「この子は将来、世界最高の王になるでしょう。しかし場合によっては、出家して修行者となり最高の悟りを開くかもしれません」と予言します。これを聞いた父王はたいへん驚き、出家などされてはたまらないと、この世の楽しみを際限なくシッダッタに与えます。シッダッタは毎日毎日、楽しいもの、美しいものだけを見て過ごしたのです。

 ところが大人になったある日、馬車で遠出をしたシッダッタは、道ばたを歩くよぼよぼの老人を見て、衝撃を受けます。今まで、このような弱々しい人間の姿を見たことがなかったからです。また別の日には、病に冒されて苦しんでいる人に出会い、さらに別の日には、葬列で運ばれる死者の亡骸(なきがら)に出会い、衝撃はますます深まります。老、病、死との出会いです。シッダッタは御者に、「これは、この者たちだけに起こることなのか、それとも自分も含めた万人に等しく起こるものなのか」と訊(たず)ねます。すると御者は、「これは万人に等しく起こることです。もちろん、あなたにも起こります」と答えます。それを聞くとシッダッタはすっかりふさぎこみ、何を見ても心楽しめなくなったのです。

 いずれこの身は、年をとって老いさらばえ、病の苦しみにあえぎ、その果てに死ぬ。それがわかっていながら、現前の楽しみに心奪われ、贅沢(ぜいたく)を望み、欲望を追い求めることにいったいなんの意味があろう──。シッダッタにとって、人生はただ矛盾と苦悩に満ちた、意味不明なものになってしまったのです。

 王宮を飛び出したシッダッタは森の中に入り、苦行を始めました。伝説では、食を断つ、息を止めるなど、肉体を酷使する行為を六年間も続けたといい、そのせいで身体は骨と皮ばかりにやせ衰えてしまいました。しかし、いくら身体を痛めつけても心の安らぎは訪れません。そのうちにシッダッタは、修行の本質は肉体を痛めつけることではなく、ただひたすら精神を集中することにある、という真実に気づきます。事の本質は、肉体ではなく精神にあるということを知ったのです。

 そこで彼は、苦行をやめて体力を回復し、ネーランジャラー河という川で沐浴(もくよく)したのち、大きな樹の下に坐って瞑想(めいそう)に入ります。そしてそこで、襲いくる煩悩(ぼんのう)の悪魔(欲望、妄執(もうしゆう)、睡魔、恐怖など)と闘ったのち、ついに悟りを開きます。その後さらに何十日も瞑想を続けて自分の悟りを点検し、人生の苦しみを克服する術(すべ)を獲得します。この時、ゴータマ・シッダッタは、ブッダすなわち「目覚めた人」となったのです。

 みずから獲得した「安穏(あんのん)への道」に確信を持ったブッダは、その道を他の苦しんでいる人たちにも知ってもらいたいと考え、布教活動に出立します。最初にカーシー国のベナレス近郊、サールナートというところに赴き、「初転法輪(しよてんぼうりん)」と呼ばれる最初の説法を行い、五人の人たちを弟子にしました。これが仏教という宗教集団の第一歩です。

 その後、ブッダは「サンガ(僧団)」と呼ばれる組織を作り、たくさんの弟子たちと暮らしながら、マガダ国の王舎城(おうしやじよう)(ラージャグリハ)という街を中心に、約四十五年、布教活動を続け、静かに息を引き取りました。

 これがブッダの生涯のあらましです。
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■「100分de名著ブックス ブッダ『真理のことば』」(佐々木 閑著)より抜粋
■脚注、図版、写真は権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
佐々木 閑(ささき・しずか)

1956年、福井県に生まれる。京都大学工学部工業化学科、および文学部哲学科仏教学専攻卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。米国カリフォルニア大学バークレー校留学を経て、花園大学文学部国際禅学科教授。文学博士。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。日本印度学仏教学会賞、鈴木学術財団特別賞受賞。著書に『出家とはなにか』『インド仏教変移論』『犀の角たち』(以上、大蔵出版)、『日々是修行』(ちくま新書)、『「律」に学ぶ生き方の智慧』(新潮選書)。共著に『生物学者と仏教学者 七つの対論』(ウェッジ選書)。翻訳に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波書店)などがある。年2回、東京で第一線科学者との公開トークセッション「科学と仏教の接点」を主宰。
(「東京禅センター」http://www.myoshin-zen-c.jp/)

※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
大人の学び直しにおすすめ! NHK「100分de名著」ブックス&「学びのきほん」シリーズの紹介はこちら *本書における『ダンマパダ』はじめ仏典からの引用部分は、著者の訳によります。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2011年9月と2012年3月に放送された「ブッダ 真理のことば」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たに第4回放送の対談と読書案内、年譜などを収載したものです。
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