
昭和女子大学総長であり、ベストセラー『女性の品格』の著者として知られる坂東眞理子さん。長年にわたり女性政策に携わってきた経験をもとに、世界で活躍できる女性の育成に力を入れています。国際社会でのコミュニケーションに必要なことなどを、杉田敏先生と語り合いました。
※『杉田敏の 現代ビジネス英語 2024年 夏号』より一部抜粋して掲載。
女性の躍進の近道は、グローバル化が進む分野
杉田: ボストンに海外キャンパスを開いたり、世田谷キャンパスにブリティッシュ・スクール・イン・トウキョウやアメリカのテンプル大学日本校が移転してきたりと、特に国際化に力を入れていますね。
坂東: 女性の躍進の近道は、男性の活躍が少ない分野に進出することで、それがグローバル化が進む分野だと考えています。本学第2代理事長・人見楠郎氏がボストンキャンパスの開設をはじめとする国際化の礎を築き、現在はアジア、ヨーロッパ、オセアニアなど世界各地の大学と交流協定を結んで、グローバル人材の育成に努めています。
杉田: 礎ができてからも時間がかかりますよね。グローバル人材を育てる取り組みを、どのくらいのスパンで考えていらっしゃいますか?
坂東: 20年は必要だと思っています。語学だけでなく、人間力、経験、人脈などを獲得できて初めて国際社会で通用するようになるのではないでしょうか。
杉田: ご著書『英語以前に身に付けたいこと』にも、そのようなことを書いていますね。とても共感しました。英語以前に身に付けたいことに優先順位をつけるとしたら、どんなことでしょうか?
坂東: まず、自分の拠って立つアイデンティティーをしっかりと持つこと。そのためには、日本の歴史や文化をよく学んでおく必要があります。そして気力と体力。おいしく食べられること、きちんと眠れること。それから自分ばかりが主張するのではなく、相手の主張も理解して建設的な会話を重ねる真のコミュニケーション力。
杉田: いずれも全く同感です。

坂東: 国際社会でのコミュニケーションはもちろん英語力が必須です。私の場合、自分の専門分野である女性政策については双方向のコミュニケーションができるのですが、相手がそれ以外の話をし始めると、なかなか苦労します。
杉田: 会話が詰まったときは、質問をしてみるのもいいですよね。
坂東: そうですね。質問をして相手が何に興味を持っているのかがわかると、会話が弾んでいく気がします。
杉田: ビジネスの相手でも一緒に食事をすることはありますし、仕事とは全く関係ない話に飛ぶこともあります。そのときに気の利いた雑談ができるかどうか。私がこのムックのコンテンツをつくるときには、そうしたときの雑談力が身に付くようにと内容を組み立てています。
坂東: 私は杉田先生のラジオ講座をずっと聞いていました。10年ほど前にある席で先生を紹介されて初めてお顔を拝見し、「あなたがあの杉田敏先生なんですね!」と申し上げたのを覚えています。季刊のムックになってもコンテンツのおもしろさは変わらずで、杉田先生の講座はそれこそ英語以前に身に付けたい内容が詰まっていると思います。
英語の失敗談は山ほどあります
坂東: 今はAIを駆使した翻訳ツールが日々進化しています。人間はそれより優れているべきだということになると、語学のハードルはむしろ高くなっていく気がするのですが、杉田先生はどう考えられますか?
杉田: 登山にたとえましょう。登山鉄道で楽に一気に頂上付近まで登りたい人と、いろいろな経験をしながら自分の足で頂上にたどり着きたい人とに分かれると思うんです。語学も、通じればいいという目的達成のための語学と、ことばの周辺の人や文化に触れながら上達を楽しむ語学、この2つに大きく分かれていくのではないでしょうか。
坂東: これからは、英語以前の「中身」がなおさら問われてきます。中身のない“empty beautiful English”は国際社会で通用しないと思うのです。ところが国連の演説などを聞いていると、日本の政治家はほかの人が書いたものをただ読み上げるだけ。それではだれも関心を持ってくれません。
杉田: 明らかに本人ではなく、英語がとてもできるほかの人が書いた原稿だとわかるので、その政治家の思いが伝わってこないんですよね。
坂東: ええ。“立て板に水”でなくても、自分のことばで語ったほうがいいと思います。たとえば新型コロナの感染拡大のときに、ドイツのメルケル首相(当時)が伝えたエッセンシャルワーカーの人たちに対する深い尊敬のことばや、ニュージーランドのアーダーン首相(当時)が発した実際の生活からにじみ出たような心のこもったことばには、胸打たれるものがありました。
杉田: 坂東先生はハーバード大学で学び、女性初の総領事としてオーストラリアのブリスベンで日本国総領事もされましたが、英語は苦手とおっしゃっています。英語で失敗したことは?
坂東: 失敗談は山ほどあります。たとえばRとLの発音が通じなくて、友達の5歳くらいの子どもにからかわれたこともあります(笑)。
杉田: 「政府主導で推進すべきは、英語の字幕付きのテレビ番組を放送すること」ということもご著書に書いておられます。私も同感です。知らない単語や聞き取りにくいフレーズを文字で確認できるので、とても勉強になると思います。
坂東: そうですよね。英語の読み書きはグローバル人材に必須のスキルです。スペルを間違えず、きちんとした文章が書けることは必要です。帰国子女で英語がペラペラなのに、単語のつづりや文法を知らない人が結構いるんです。聴覚だけでなく視覚からも英語を吸収し、さらに発音をまねしてみると、学習効果が高まるのではないでしょうか。


杉田: 坂東先生は「万人が、外国人と不自由なくコミュニケーションできる英語を身に付ける必要はないのでは」ということも書いていますね。
坂東: 世界に出ていく人が英語力と「中身」の両方を備えなければいけないことは明白です。ただ、それ以外の人も多いです。語学の裾野を広げる必要があるのか、あるいはAI翻訳に任せていく方向がいいのか、教育者として迷うところです。理系の論文などでもAI翻訳に頼れるようになっています。となると、研究者は語学よりも研究の中身に注力したほうがいいのでは、という気もします。
杉田: 日本の英語教育がどこで失敗したかに通じる話だと思うのですが、現在の日本の英語能力指数(*2)は、113か国中87位です。
坂東: 私がハーバード大学で学んでいた1980年当時は、級友の韓国人もタイ人も私と同じ英語レベルで、「私たちは欧米の植民地にならなかったから、英語が下手でもしかたがないよね」なんて笑い合っていたんです。ところが今はどうでしょう。韓国人やタイ人のエリートの人たちの英語力と日本人エリートの英語力は、差が広がってしまいました。
杉田: 中国人の英語力も上がっています。
坂東: アジアのエリートは、一家を挙げて英語教育に力を入れていますよね。
杉田: 日本も、高校や大学の途中でアメリカの大学に留学する学生が増えています。企業も昔は日本の大卒を採用条件とするところが多かったのですが、今はアメリカの大卒も採用するようになっています。
坂東: 私がアメリカにいたころに向こうの大学院で学んでいた日本人はほぼ男性で、企業からの派遣でした。一方、女性の大半は身銭を切っての留学か、スカラシップを獲得しての留学で、総じて英語力が高かったですね。しかし日系企業は留学経験のある女性を歓迎せず、彼女たちは外資系の企業に向かいました。たとえばマッキンゼー・アンド・カンパニーでマネジャーを務めた石倉洋子さんや、2008年にビジネスウィーク誌により「世界で最も影響力のあるヘッドハンター・トップ100人」に唯一日本人として選ばれた橘・フクシマ・咲江さん。外資系企業で実績を残した彼女たちは、成功したあとになって日本社会で引っ張りだこになりました。日系企業が有能な女性のグローバル人材を生かせない時代がずいぶん長く続いたと思います。
杉田: 日本企業は海外留学休職制度を推進すべきだ、と唱える議員も現れていますね。私は大賛成です。
坂東: 一方で、アメリカの大学の授業料の高騰を受けて、社員の留学をなくしている企業もあります。また、留学帰りの社員に活躍の場を与えない人事も多く見られます。留学できない社員の不公平感をなくす意図でしょうが、留学帰りの社員はせっかく学んだことを生かせないので退職の道を選ぶことになり、そうするとますます社員の留学を躊躇する企業が増えてしまう。もう1つの課題は、世界に出ていく日本人に、修士号や博士号の取得者が少ないことです。
杉田: 国連の職員は最低でも修士号の取得者だと言われていますね。
坂東: ええ。そうしたところも諸外国並みの水準に上げていく必要があると思っています。
……続きは『杉田敏の 現代ビジネス英語 2024年 夏号』に掲載中。
*1 スイスの非営利団体「世界経済フォーラム」(WEF)が、政治・経済・教育・健康の分野ごとに各国の男女格差を評価して数値化したもの。
*2 スイスに本社を置き、世界各地で教育事業を展開する「EFエデュケーション・ファースト」が、英語を母語としない国や地域を対象に調査を行って作成している英語能力指数。2011年から毎年発表している。
■『杉田敏の 現代ビジネス英語 2024年 夏号』より一部抜粋。
◆撮影/海野惶世
◆取材・構成/髙橋和子
1946年富山県出身。東京大学卒業後、総理府(現内閣府)に入省。ハーバード大学留学後に、内閣広報室参事官、埼玉県副知事などを歴任。1998年に女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)となる。2001年から初代内閣府男女共同参画局長を務めたのち、03年に退官。04年に昭和女子大学教授に就任。同大学学長、理事長を経て、16年から総長。著書に、『女性の品格』(PHP研究所)、『英語以前に身に付けたいこと』(日本文芸社)、『与える人 「小さな利他」で幸福の種をまく』(三笠書房)など多数。
昭和女子大学客員教授。1944年東京・神田の生まれ。66年青山学院大学経済学部卒業後、「朝日イブニングニュース」記者を経て71年オハイオ州立大学に留学。「シンシナティ・ポスト」経済記者を経て、73年PR会社バーソン・マーステラのニューヨーク本社に入社。日本ゼネラル・エレクトリック取締役副社長(人事・広報担当)、バーソン・マーステラ(ジャパン)社長、電通バーソン・マーステラ取締役執行副社長、プラップジャパン代表取締役社長を歴任。NHKラジオ講座「やさしいビジネス英語」「実践ビジネス英語」などの講師を、2021年3月まで通算32年半務める。2020年度NHK放送文化賞受賞。著書に『アメリカ人の「ココロ」を理解するための 教養としての英語』(NHK出版)、『英語の新常識』『英語の極意』(集英社インターナショナル)ほか多数。
『杉田敏の 現代ビジネス英語』では、NYのビジネスパーソンの間で話題のトピックを軸に、どんな話題でも語り合える英語力を目指します。
